みんなの日記帳

問わず語り6  No.371

第2外国語は、仏様のおかげで乗り切れたのだが、第1外国語の英語では地獄が待っていた。
英語は高校で言うリーダーの英語1とグラマーの英語2に分かれて、それぞれ週一コマずつであった。自慢じゃないが、オイラの英語の苦手さは筋金入りである。中学に入学し、1ヶ月が過ぎた頃、体調を壊し、1週間ほど中学を休んだ。久しぶりに学校に行くとクラスメイトはSunday Monday Tuesday Wednesday Thursday Friday Saturday とオイラにはわからない呪文を唱え、なおかつ書いているではないか。わからない自分が阻害されていると感じ、それ以来英語は大嫌いなのだ。どんな受験にも英語は必ずついてくる。試験が1科目しかなくてもそれは必ず英語、英語が苦手なせいで高校も大学も希望のところには入れなかったのだ。日本人のオイラがなぜこんなに鬼畜米英の言葉のせいで苦しまねばならないのかといつも思っていた。その極みが大学1年の時の英語1出会った。
一般教養の英語はグループごとに担当教官が決まっており、選ぶことはできない。おいら達のグループの担当は鈴木先生という長髪に伊達めがねの悪魔の使いとしか思えない先生であった。キリスト教の大学に悪魔がいてよいのか。疑問である。
鈴木先生は最初の講義でこうおっしゃった。「ここには約100人の学生がいる。しかし、私のこの講義の単位を取れるのはこの内20人もいないだろう。自信のないやつは早々に諦めて、来年に備えた方がよい。ただし、来年も私が担当となるかもしれない。必修科目である英語の単位を取れなければ、卒業はできないな。フフフ……」その上、このような条件を述べた。「私が使用するテキストの日本語訳は仙台中の書店を探しても見つからない。おまえ達が自力で訳すしかない。毎回何人かの人を指名し、読み、かつ訳させるが、それができなければその回、そいつは講義に欠席したことにする。私の講義は3回休めば除籍とする。なお、病気、忌引きでの欠席届は受け取るが、そのままゴミ箱行きだから書くだけ無駄だ。」
鈴木先生は有言実行の人であった。そのテキストは非常に難しく、おいらなどは研究社の新英和中辞典を首っ引きしても1回の抗議の文を訳すことなどできない代物であった。悲劇はすでに二回目の講義の時に始まった。鈴木先生に最初に指名されたのは付属中高から北アイビールックで決めたとっぽいクラスメイトだった。指名された彼はテキストを持ち、規律はしたが、和役どころか、はじめの1文節を読み終えないうちに退場を宣言され、二度とこの抗議に来ることはなかった。次に指名されたものもなんとか読むことはできたが、日本語訳をできずに欠席扱いとなった。この日指名されたもののうち、先生からOKがでた人は半数もいなかったと思う。
その次の講義ではかなりの人が対策を立ててきて、最初の数人はなんとか和訳ができたが、後半の人は惨敗した。難しいテキストに予習が追いつかず、1回分の講義全部を訳することができないのだ。
三回目の講義からは、みんな指名を待つのではなく、水から手U上げて、朗読と和訳をするようになった。それはいつ指名されるかを待つより、自分が予習してきたところを披露すればその回のノルマは達成される。そうすれば、その日だけは安心していられるからだ。しかし、みんなが手を上げるのはその回の最初の5ページ分くらいに集中する。その分くらいしか準備ができていないからだ。だから後半は相変わらず悲惨なものになり、脱落する人が次々とでた。
おいらも最初の内は
懸命に予習をしたがどうしても追いつかない。最初の3人くらいに入らなくてはどうしようもなく、講義の後半は気配を消し、指名されないように身を潜めつつ怯えていたた。
しかし、おいらだってただただ討ち死にを待つようなお馬鹿ではない。ずる賢さが出てくるのだ。ある日、寮の食堂でテレビを見ていた手塚君に声をかけた。手塚君は中寮にいる文学部英文科の学生で、南寮の経済学科のオイラとは全く接点がない。英文学科の学生、経済学科の学生と比較して野暮ったくなく、垢抜けている感じの人が多い。手塚君も青森県の南部地方出身のわりには都会的なめがね男子であった。オイラ。「なあなあ手塚君、君は英文学科で英語が得意なのだから経済学科の教養の英語なんてお茶の子さいさいだろう。ただとは言わない、グリルTGのランチをおごるからテキストを訳してくれないか。」と言った。 手塚君はまんざらでもない顔で「まあ、経済の教養の英語の日本語訳なら朝飯前だろう。でもらんちはbランチにしてくれよ。」と答えた。当時学食の天ぷらそばが120円、カレーライスが180円だった。一方Bランチは260円と自分でも滅多に食べられない高級品だったが、背に腹は代えられない。契約はセイル津した。
しかし、おいらはしっている。手塚君は毎週のテキストの日本語訳のため、うんうんうなりながら3時間以上賭けていたことを。それでも彼は断れなかった。それはBランチのためではなく、英文学科のプライドだったのだ。
オイラも鬼ではない、次の講義の前半のページは誰かが手を上げて答えるだろうから後半部分だでよいよ。こうやって、オイラはなんとか英文を読み、手塚君の訳した日本語を披露して、欠席扱いになることなく、講義を乗り切ったのだ。周りを見渡してみると100人近く板倉巣メイトが終盤には50人もいなかった。
しかしながら世の中そんなに甘くない。講義を乗り切るだけでは単位は取れない。試験があるのだ。悪魔の鈴木先生は、前期試験を行わない。学生絵をいたぶるように後期まで付き合わせ、そこでバッサリ切るという腹づもりらしかった。
鈴木先生の試験は至って単純なもの。一年間使ってきたテキストの一部分が20個くらい書いてあり、それを日本語に訳すというもの。方式は簡単だが、一冊分のテキストを丸暗記はできない。だからといって人に訳してもらったものを自分で訳せるわけもない。試験はBランチの食券を何枚贈呈しても手塚君に換わってもらうわけには行かない。万事休す、ここまでの努力がすべて無駄になるのか。
困り果てていた頃、寮の仲間からある情報が入った。その仲間は同室の佐藤君と同じ、体育会野球部の部員である。体育会の部員は練習や試合のため、講義は休みがちだし、勉強をする時間がなかなかとれない。それでも単位を取得し、卒業しなけレガならないことは一般学生と同じだ。そこで発展したのが、試験対策の情報網だ。例えばある先生は毎年同じ問題を出す。それに対する80点の答えはこれだ。などと怪しげなコピーが回ってくる。大学の一般的な試験は、問題は一門だけで、それに対する答えを論述的に記述するのだが、そのコピーをほとんど丸暗記し、そのまま書けば80点になるという不思議なものだ。
その野球部員はオイラに言った。「おまえの英語の担当は鈴木先生だったな。先輩の話だと去年の鈴木先生の試験では辞書の持ち込みがOKだったそうだ。」「んっ、でも先生はそんなことは言ってなかったぞ。」「試験の当日に言うらしい」そうか。オイラはそこに一縷の望みをかけた。
テキストの日本語訳は真面目にノートに書き留めてある。それを辞書に書き込んでおけばよい。いくら英語がわからなくてもワンフレーズくらいの意味はわかるだろう。その英語に該当する部分の日本語を辞書に書き込んでおけば回答できるだろう。
早速、作業に取りかかったが、テキスト一冊分を辞書の空白部分に書き写すのは思ったより大変な作業だ。空白と言ってもぎっしりと印刷してある細かい文字の上部と下部にわずかしかない。全部書き写すのには二番の時間と辞書200ページほどを要した。
試験当日、鈴木先生は問題を渡しても「辞書持ち込みOK」とは言わない。あれはガセネタか。オイラの努力は徒労だったのか。「では、はじめ」と鈴木先生。絶望した次の瞬間「先生が「あっ、言うのを忘れていたが、この問題は非常に難しい。ぼくは優しい人間だから英和辞書を引くことを許可する。まあ、この90分間で辞書を引きながら和訳することは不可能だとは思うのだけどねな。フフフフフ」とおっしゃられたのだ。周りからは「そんな話聞いてないよー。」」「辞書なんて持ってきてないよ」などと不満の声が上がっていた。そんな中、事前に情報を得ていたオイラを含む数人だけが小さくガッツポーズを撮っていた。
なにもドイツ語の時のようにカンニングペーパーを持ち込んだわけではない。辞書持ち込みはOKなのだ。その辞書に何が書き込んであろうとそれは自由なのだ。みんな蛍光ペンで線を引いたりしているでしょ。それと同じようにオイラの辞書にはテキストの全訳をたまたまメモしているだけなので、ナンの不正行為を行っているわけではない。堂々と辞書をめくりながら答えを書き込んでいく。全部が正確なわけではないが、やり遂げた感はあった。
戦いは終わった。100人近いグループの内、鈴木先生の単位を取れたのは22人。その中で、まるっきり英語力のないオイラの成績は「優」快挙だ。
一年間お金を使い、時間を使い、コネを使い、こびを売り、涙ぐましい努力をしてきたのだ。そしてやっとつかんだ英語の単位。これで卒業も見えてくる。ってか、まだ一年生だろう。そのまえにもっと英語そのものの勉強をしろと言うことだよな。
また、おいらの200ページにも及ぶ鉛筆で書き込みのある研究社の新英和中辞典は、書き込みが消されることもなく緑の外箱から出されることなく放置されている。多分、もう二度と誰にも拓かれることはない。
内緒の話だが、この年おいらは一般教養の経済学の単位を落としてしまった。経済学部の学生が教養の経済学の単位を落とすとは何事だ。そしてこちらも必修科目なのだ。とれなくては卒業できない。どうするんだ。だって、アダムスミスの「諸国民の富」(高校では国富論といっていたな)なんて古典経済学、オイラが学ぼうとしている経済学とは違うんだもの。なんていいわけはできない。経済学部の学生だけではなく、文学部の学生も法学部の学生もみんな取得する単位なのだ。
次の年、なんとしてもこの単位を取得しようと画策する話は別の機械にかければよいと思う。


くじらベーコン
2018/03/10

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