みんなの日記帳

問わず語り7  No.372

新寺工事を東に向かい、東九番著に入り、酒屋の前を曲がったところ、周りがお寺とお墓ばかりにある学生寮。そこから仙台駅の裏までは歩いて10分とかからない。その道は猫しか歩けないような幅で、両側に軒の低いコールタール塗りの平屋の家がぎっしりと連なっている。そこだけ時間が流れていない。明治から大正の香りがした。
聞いたところによると先の戦争、駅の前はアメリカ軍の空襲でほとんど焼かれたそうだ。だから再開発され、近代的な町並みになっている。しかし、粗末な住宅しかなかった駅裏には爆弾は落ちなかった。ゆえに焼けることなく古い町並みが残ったらしい。
そこを歩いて駅裏についても駅に入ることはできない。当時、仙台駅に東口は存在しない。そこから駅の入り口に回り込むのに10分以上かかっていた。
そんな風景を見たのはオイラが最後の世代だろう。その翌年には、木造の建物に瓦屋根、そこにたつ十字架の学生寮もコールタール塗りのトタン屋根の家もたくさんのお寺もそれらをつなぐ道路さえもなくなり、全く違う町に帰られたのだ。
今、仙台駅の東口に降り立ってもあの学生寮がどこにあったのか、ほとんどわからない。痕跡もない。特に感傷的になるわけでもないのだけれど。
そんな古びた町の学生寮、テレビの持ち込みは許可されていない。たとえ許可されていたとしても買うことのできる学生はごく一部だっただろう。せいぜいがラジカセ、オイラはラジカセすら買ってもらったことはなかった。
そんなわけで、テレビを見たい人は一台だけテレビのある食堂に集まる。それも午後9時になると食堂は消灯し鍵がかかるのだ。
そんなわけでおいらはキャンディーズの解散コンサートの放送を見た後は自然とテレビを見る習慣がなくなった。しかし、たまに8時頃食堂に行くと7〜8人の学生がテレビを見ていた。その中にはいつも山形市出身の体育会柔道部の山中君がいた。彼は100Kg超九の堂々たる体格の柔道二段である。当時のオイラは強そうなやつを見つけるとどうしてもかかっていきたく鳴るという馬鹿者であった。高校時代も体育の授業の時だけ一緒になる中学の相撲大会で全国3位にだったという相撲部のやつに会うと必ずぶつかっていき、そのたびに投げ飛ばされていたのだ。
そんなわけで山中君を見つけると正面からでは絶対にかなわないので、オイラは後ろからこそっと近寄り、腕をねじったり、スリーパーホールドを賭けたりしたのだ。オイラも当時80Kg近くの体格をしていたが、毎日鍛えている山中君にはかなうわけもない。彼は数秒技を受けてくれるものの次の瞬間にはおいらを前に投げ、関節を決めるあるいは湿る。おいらは参ったをするしかない。何回かかっていっても一回として勝てたことはない。それどころか山中君が不機嫌だったのか一回本当にシメオとされたこともあった。
そんな彼と奨学金の話をしたことがあった。山中君は日本育英会の特別奨学金を借り受けているというのだ。体育会推薦の彼だが大学進学を決めた時点で、高校時代に奨学金の申し込みを行い、大学進学に備えたのだという。おいらも日本育英会の奨学金を借り受けていたのだが、一般奨学金である。
当時の私立4年制大学自宅外で通うものには特別奨学金が月額29,000円。それに対し一般奨学金は17,000円。それで返済額は同じなのだ。つまり、月々12,000円分は返済の必要がない、ただもらいだったのだ。
なぜそんなことになったのか。それはおいらが貧乏な水飲み百姓のせがれであるのにもかかわらず、高校時代に奨学金のことまで頭が回らなかったからだ。それは受験勉強に集中してたというより、エッチなことばかり夜な夜な妄想して板からだろう。大学に入学してからあわてて奨学金を申し込んだのだが、特別奨学金を申し込むで落ちてしまうと一般奨学金も受けられない。だから最初から一般奨学金を申し込んだのだ。特別か一般化は高校時代の成績(平均偏差)と親の収入で決められる。冷静に考えれば、ランクの低い高校に通っていたおいらの平均偏差は4.5近くあり、特別奨学金を受給するには十分な成績だったが、万が一のことを考えると冒険はできなかった。
お馬鹿はただただ月12,000円×4年分576,000円を損したことになる。本当にお馬鹿は罪なのだ。その時点でおいらの人生は山中君に負けている。
それでも当時の日本育英会の奨学金は無利子であった。オイラは卒業時点で、80万円近くの借金を抱えていたが、運良く就職ができ、卒業の翌年から年60,000円の返済を6月に行うことになった。おかげで夏のボーナスのかなりの部分が持って行かれたがボーナスが出ていたことは幸いであった。また、賃金が高くなり、毎年の返済が苦でなくなった頃、結婚をしてみたらその人が奨学金の返済義務とともに嫁に来たため、返済が増えてしまったのは予期しない出来事であった。彼女は借り受けた奨学金の内返済義務のあるのは半額程度の特別奨学生だったので、おいらのより早く完済できた。おいらは就職して10年でもう学校に行くことになったが、その期間も奨学金の返済は続いた。完済できたのは盲学校卒業後だ。
上にも書いたとおり、当時の奨学金は塗り視だ。しかし今の日本学生支援機構の第二種奨学金の利率は、上限3.0%と聞く。卒業時に正社員として就職できれば問題ないのだろうが、間が悪く不正規だったり、就職先がブラックで辞めざるをえなかったら難しくなる。
せめて、貧しくとも学ぶ木のある学生には無利子で奨学金を課してもらいたいものだ。オイラは奨学金でプリメインアンプやレコードプレイヤーを月賦にして買ってしまった学ぶ気のない学生だったのだが。
2018/03/18

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